
徳川家康「三河一向一揆」で絶体絶命に陥った必然
わかりやすい教義で急成長した武力集団の正体
三河一向一揆に家康はどうするのか?(画像:NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト)
NHK大河ドラマ『どうする家康』第7回では、年貢を収めない一向宗の寺と市川右團次さん演じるカリスマ性たっぷりの空誓上人を崇める民衆を描いた演出が、現代に通じるものがあると話題になりました。
ここから家康にとって最初の絶体絶命の危機「三河一向一揆」が始まるのですが、そもそも一向一揆は、どのように始まり、どうして歴史に残るほどの出来事になったのでしょうか。『ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら』の著者、眞邊明人氏が解説します。
そもそも一向宗とは?
家康を苦しめた「三河一向一揆」の「一向」には、どんな意味があるのでしょうか。
一向は「一向宗」を指します。つまり一向宗の衆徒による一揆(反逆)ということです。一向宗の創始者は鎌倉時代の一向俊聖という僧侶で、法然を始祖とする浄土宗の出身でした。法然の「本願を信じ念仏申さば仏になる」という教えに影響を受け、
「難解な仏典の理解や厳しい修行がなくとも、念仏を唱えれば救われる」
という非常にわかりやすい教義で爆発的に宗徒を獲得していきます。『どうする家康』でも市川右團次さん演じる空誓の本證寺には「なむあみだ仏」の旗が掲げられていました。
この一向宗と似た宗派に時宗があり、こちらも浄土宗出身で鎌倉時代の僧侶・一遍智真が創始者です。
一向宗と時宗は時が経つにつれ混じり合い、さらに、そもそもは浄土宗の教えということもあって浄土真宗まで同じもののように捉えられていきます。「一向」という言葉が「専念して」「ひたすらに」という意味なので、「一向宗」という表現のほうがわかりやすいこともあるため、こちらが一般化していきました。
【2023年2月26日21時23分追記】初出時、一向宗、時宗の創始者にまつわる記述に一部誤りがあり、修正しました。
しかし、これでは本家の浄土真宗が分派の一向宗に吸収されたように見えてしまうので、浄土真宗が「一向宗」という表現の使用を禁じたという話があります。
いずれにせよ、浄土真宗を中心として一向宗と時宗という宗派が、鎌倉時代から室町時代、戦国時代にかけて急速に全国に広まっていったのです。